国鉄九州動力車労働組合(通称:動労総連合・九州)の活動を紹介するブログです。
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6月9日朝、動労総連合・九州は、羽広憲委員長を先頭に、JR鹿児島線・富合駅前にある九州新幹線の熊本総合車両所にたいするビラ入れ行動に決起した。小雨の中、通勤してくるJR労働者に「安全対策そっちのけの九州新幹線運行再開を弾劾しよう」と訴えるビラをまき、動労総連合・九州への加盟を訴えるリーフを配布した。
4・14の九州新幹線脱線事故は、全車軸が脱線する新幹線事故では最大の事故だ。列車やレールには、「脱線防止ガード」や「脱線防止ストッパー」を着けていなかったことが判明している。
だがJR九州は、4月27日、何らの安全対策も取らないまま、「ゴールデンウイークにまに合わせる」と表明して運行再開した。安全対策を実施することを公に表明したのは、何と再開1ヵ月後の5月27日だ。余震は今も続いている。気象庁は、「今後2ヶ月間は震度6弱クラスの地震の可能性がある」と発表していた。一体、安全問題を、人の命を何と思っているのだ。金儲け優先のJR九州への怒りに燃えた行動であった。
動労総連合・九州のビラまき隊を見て、JR労働者から「オオ-」と声があがった。
昼からは、福岡県労組交流センターの仲間も加えて熊本市中心街・下通りでの宣伝戦に決起した。
下通りへの動労総連・九州の登場も衝撃的だ。特に、「動労総連合・九州」と「1047名解雇撤回」の二つののぼりは注目の的だ。羽廣委員長の力強い発言を聞き、労働組合ののぼりを見ながら「頑張ってるな」と署名に応じる人が相次いだ。
「震災被害の拡大は新自由主義がもたらした人災です」「震災解雇は拡大し、労働相談は1万件をこえています。被災地対策は参院選まで。被災地の切り捨てを許さず、被災者組合、労働組合をつくって闘おう。国鉄解雇と30年間闘い抜いてきた動労総連合・九州と一緒に闘おう」
この訴えに、振り向いてチラシを受け取る人、署名に応じ「頑張って」とカンパをする人も現れた。
「皆さん!被災地切り捨てを許さず一緒に闘おう」「労働法制大改悪、憲法改悪を許すな!」「戦争と非正規をなくそう」「命よりカネという新自由主義社会を労働者の力でつくり変え、労働者が主人公の社会をつくろう」という訴えは、共感を生んだ。
● 翌10日、益城町、南阿蘇に救援物資を届ける。
翌10日、最も震災被害の大きかった益城町と、南阿蘇へ救援物資を届ける闘いに決起した。
震災から2か月、いまだ6400人を上回る人たちが避難所生活を強いられている。その数字は行政が把握している表向きの数字だ。高齢者や障害者、避難所統廃合ではじき出された人、自宅の敷地内にテントを張って住んでいる被災者を加えるとかなりの人が、避難生活を強いられている。
益城町では、家屋全壊でいまなお公民館で避難生活をしている人たちのところを訪ねた。「小さな公民館に40名もの人たちが入り、敷布団1枚に2人で寝ていた」と言う。家の全壊した写真を見せながら「全壊家屋でたったの300万円だ。こんなカネで家は建てられない。ローンも終わらない。入居する仮設住宅もない」と語る被災者の悲痛な声が印象に残った。梅雨が続いている。連日の猛暑。解体作業も行なわれないまま全壊・半壊の家がそのまま続いている益城町を後に南阿蘇へと転戦した。
南阿蘇は、今なお、陸の孤島だ。赤ちゃんのおむつなどを届けると喜ばれた。避難所暮らしの大変さが口々に語られた。遠くに見える阿蘇山は、削り取られ、山肌がむき出しだ。「(阿蘇山はがけ崩れなどで)毎日、その姿が変わっていく。さらに大きな山崩れが起きるのでは」と心配していた。
梅雨の長雨で土砂崩れの危険性が高い。そこには避難所もある。
新聞で「阿蘇市の自治体労働者が自殺」と報道されていた。過労が原因か? 新自由主義は、二次被害、三次被害とどこまでも人の命を奪っていく! 被災地切り捨てを許さず、ゼネストで革命を!「新しい労働者の政党をつくろう」。
全国から救援物資と救援カンパを送っていただいた皆さん。本当にありがとうございます。この間、被災地救援活動を全力でおこなっていますので、以下報告です。
4月14日、16日と震度7の激震が熊本を襲い、熊本県の益城町、西原村、阿蘇地方、熊本市に激甚な被害をもたらしました。それは、大分地方にも連動し、がけ崩れや家屋倒壊など福岡・佐賀県まで被害が広がっています。
こりゃ大変だ、何とかせねば、と動労総連合・九州の仲間と相談し、救援体制をとりました。
17日、動労総連合・九州の組合員をはじめ先遣隊が、被害状況把握のために熊本入りしました。九州自動車道を北から植木インター前まで進んだところで大渋滞、降りるだけで4時間もかかり、へとへとになって熊本市内にやっとたどり着く状況でした。
いつも泊まっていたところは外壁にひびが入り、外階段はぐらぐら。中は全ての家具がひっくり返り、ガラスは破損し、電気はきていたものの水道、ガスはストップ、何もかも壊れめちゃくちゃでした。付近の住人たちは近くの避難所に全員避難し、「また激震があったらと思うと怖い。昼は避難所、夜は避難所に置いている車の中で寝ている」という話でした。
そこに行く過程で、熊本城の脇を通ったのですが、城壁は無残に崩れ、石垣が道路まで散乱していました。5階建マンションの1階部分が完全につぶれ、斜めにひしゃげた姿も目の当たりにしました。この間、百万人署名運動熊本県連絡会(準)が毎月街宣活動をやっている下通りのアーケード街もめちゃくちゃでした。日曜日なのに、人っ子一人いない大アーケード街の異様さに、震災の大きさを実感しました。
18日、動労総連合・九州が全国に救援を訴える声明を出しました。余震の続く熊本では寝泊りができません。福岡の組合事務所に救援本部を設置し、県境に仮事務所をつくり、救援活動の開始です。
第一弾は、動労福島の組合員の実家から始めました。実家は、震度7が二度襲った益城町にあります。「実家に駆けつけたい。20日に来る」という連絡を受け、前日から準備に突入。
前夜、仮現地救援本部に着き、早朝6時からの強行軍に備え仮眠です。20日朝、動労総連合・九州の羽広委員長を先頭に、「団結ガンバロー」を行ない、元気いっぱい出陣しました。動労福島の仲間を含め総勢6名、2台の車は救援物資で満載です。寸断された道路、大渋滞を突き進み、益城町に何とかたどり着き、水など救援物資を手渡すことが出来ました。
※益城町の様子はひとつ前の記事参照
翌日から現地救援本部に寝泊まりし、電話で安否確認をしながら、地をはうように知人宅を回りました。
21、22日、「まだ物資が届いていない地域が多くあるので手伝ってほしい」という友人からの依頼があり、そこを重点的にまわってきました。さらに、阿蘇、熊本市内へも移り、街宣で知り合った人にも救援物資を届けました。1日かかって1~2人が精一杯の現状です。大半が避難所暮らし。長期のため、家で何とか過ごせる人は帰ってきていますが、まだ水・ガスが使えないところがたくさんあります。
ある人は、寝たきりのお母さんの介護のために東京から引っ越してきたばかりで震災にあい途方に暮れていました。物資を届けるととても喜んでくれました。わずかな時間でも、不安を口にする相手がいることが「ストレス解消になる」ようです。
全国から送られた大量の水、ボンベ、食料などが大変役にたちました。本当に感謝です。福岡市内でも直後から3-4日は、水がどこにもない状態でした。
多くの人が、16日の本震の恐怖で「家には寝泊りできない」と口にし、幼い子どもたちは夜中のちょっとの余震でも「避難所に行こう」とせがむと言っています。
家が何とかもった人も、勤務先が倒壊したり、仕事に行けない人も多く、非正規で働いている人たちは、直ちに生活に困っています。2週間を過ぎた今、仕事を探さなければということが、住むところをどうしようか、と同じくらい深刻な状況になっています。
これほど被害を大きくしたのは、国鉄分割・民営化に始まる30年余の新自由主義政策、歴代政権の「資本家優先・救済=地方切り捨て政策」にあります。
九州新幹線の脱線問題は重大です。脱線防止装置を着けないまま運行し、脱線後も何らの安全対策をおこなわないまま27日再開しました。人の命を何と思っているのかと怒りに震えます。動労総連合・九州は、救援活動に全力をあげるとともに、鉄道の安全を守るために、この問題に真正面から取り組みます。
救援活動は息の長い闘いです。水、食料の供給は一段落し、現在、不足しているのが、ノロウイルス対策でも
ある手洗い用の消毒用アルコール、男女、子どもの下着です。問題はこれからです。家も住めず、再建のめどもたたない、仕事もない、という中で、生きるための闘いが起こっていくと思います。政府は、選挙対策もあり、一旦は全力をあげるでしょうが、徐々に切り捨ての意思をむき出しにしてくるでしょう。これから労働組合の闘いが問われます。ぜひとも引き続き、救援カンパへのご協力をよろしくお願いします。